人間もどきの日常

目標もなく意味もなく、ただそこに在る

自分は「人間障害」なんだと諦めた話

最初に断っておくと「人間障害」なんて病名はもちろん存在していない。

自分が何なのか表現するのにちょうどいいから作ってみた勝手な造語だ。

 

今になってようやく、自分が人間に向かないことを理解できた。

本当は薄々どこかで気づいていたかも知れないけど。

 

これまで何をするにしても「他人」というものが怖かった。

特に妬みや怒りといった「負」の感情。

あれは本当に嫌で仕方がない。

 

他人を見下し、嘲笑の対象を探し続ける輩。

何かに怒り、憎み続けることしか自己を保てない輩。

 

そういったものに出くわす度に心の中がざわついた。

 

ああ、本当に気色悪い。

 

そんな自分の防衛手段はただ一つ。

心の中でガクガク震えながら、顔に作り笑いを浮かべてやり過ごす。

 

自分が攻撃されないように、自分が傷つかないように。

 

これまで自分の人生は、その一点に努力の大半を捧げてきた気がする。

 

ただそんな滑稽な努力(?)も空しく、自分は勝手に追い詰められ、

そしてその挙句に壊れてしまった。

 

限界だと気付いたときにはもうベッドから起き上がれなくなっていた。

医学的に言えば重度の鬱病やらなんやらの精神障害なんだろうけど、

そんな診断が今更役に立つとも思えない。

 

仕事やお金といった社会的価値を全て喪失した今ようやく自覚できた。

 

もういいや。

 

人間に向いていない存在が人間のフリをしたって仕方ない。

「人間として生きることに著しく障害がある」のなら、

最初からこう名乗ればいいのだ。

 

「人間障害者」と。

 

 きっと、もう人間としての自分はその生涯を閉じたのだ。

 

 

このブログは人間だった頃の自分に決別する意味を込めて初めた、

かどうかは自分でも正直わからない。

 

なにせ目的も曖昧ならば方向性すら何も無い。

 

数週間後には、社会に呪詛を吐き続けるだけのbotブログに

なっている可能性だって多いにある。

 

まあそれでもいいか。

 

二言目には生産性やらビジョンだの。

何かをするのに意味を求めるのは人間のすることなんだから。

 

はたしてもう人間でない私は、どこまで無為でいられるのだろう。