人間もどきの日常

目標もなく意味もなく、ただそこに在る

朝気づいた勝手に死んでいたい

タイトルのまんまだ。朝起きようとしたら自分の気づかないままいつの間にか死んでいること。それが今ある私のささいな願いである。

 

自分から進んで死ににいこうとは思わない。どうせ自殺しようとしたって失敗するだけだろうし、やる気なんか湧かない。これまで生きてきて、何も上手くいかなかった奴が最期の時だけ大成功だなんて、あまりに虫が良すぎるでしょうよ。

 

だからこそ思う。いつの間にか、死んでいたい。静かに、誰にも迷惑かけずに、主体性なく、ひっそりと。「消えたい」と言い換えられるかもしれない。自分が存在しなければなんて何回考えたことか。そうすれば、こんな手遅れになるほど拗らせずに済んだというのに。

 

甘ったれてるとも思う。卑怯な奴だとも思う。自分に酔っているとさえ自覚している。でもだからといって何も変わらない。誰かの忠告を受け入れるなんて私には無理だ。ましてやもう前に進む気なんて一切無いのだから。

 

この願いは、きっと叶わない。それでも私は何もしない。何も動かない風景の中で、叶うことのない願いを、ひたすら夢見続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間を辞めてから1か月経過して

自称人間を辞めてから約1か月が経過した。その間、本当に何もしなかったわけだが、身体に色んな変調が起こりはじめた。何もすることもないので、せっかくだしだらだらと書いていきたい。

 

1.睡眠時間がおかしくなった

昼夜逆転するだけならまだましだろう。実際はいつ起きていつ寝るかがぐちゃぐちゃになった。

ひどい日だとお昼まで寝ていたのに午後3時にまた眠くなり、気づいたら次の日の朝まで寝ていたなんてことも。1日の活動時間約3時間(笑)。ナマケモノもびっくりの生態系である。

かと思えば、全く眠くならず気づけば朝まで起きていた日もあったりするのでもはや生き物として意味不明。生活リズム?何ソレおいしいの?

 

2.嗜好品に興味がなくなった

いっそのこと邪魔だから消えて欲しい食欲についてはまだ残っている。ただ酒やタバコ

といった嗜好品は一切口にしなくなった。身体が受け付けなくなった感じがする。

食に関して言えば、この他にも小麦や乳製品なども何故かNGになった気がする。あくまで感覚的に。そういえば味覚もなくなってきたような…。

個人的には、中途半端に食べれなくなるよりも、食べたいと思う気持ち自体消えて欲しいんだが。霞だけ食って生きていけりゃあどんなに良いことか。

 

3.人と会話ができなくなった

元来動物というものは、使わない能力は自然と退化するようプログラムされているらしい。ということで私は人と会話する能力を失いました(笑)。これまで人間として何一つ成長できなかったくせに退化するときだけ最速である。ホント何なんでしょうね。

具体的には人と対面すると言葉が出なくなる、頭が真っ白になる、そして震え始める。そのうち失神するんじゃないかと思える荒ぶり方である。人と会ってから震えだしたんじゃ西野○ナさんだって困りもんだろう。

しかしよくよく考えてみれば、前から無理して人と会話していたのだし、本来あるべき状態に戻ったと言えなくも…いや無いな。

 

4.物事に意欲がなくなった

いくらでも時間がある(活動時間は短いが)くせに何もする気になれない。好きなことを好きなだけすればいいと思うのだが、そもそも自分が「好き」と豪語できるものがはたして存在したかしらんと思索に耽っていると、時間だけが無下に流れ、結局は何もせずに一日が過ぎ去っていく。いやはや惰生の極みである。

結局のところ、何かに理由をつけて私は何もしたくないだけなのだろう。

 

5.性欲がなくなった

性欲についてきれいさっぱりなくなってしまった。が、これに関してははっきり言って特に何の問題もないだろう。

なにせ将来的に使う予定も持ち合わせていないし。種の継承という動物本来の使命を放棄した私には元より不要なものだったかもしれない。宦官でも目指そうかな。

 

 

ざっとこれまでの変化について列挙してきた。順調に人間を辞めているとも考えられるし、単に人間として腐っているだけとも言える。

正直、世の中が大変な時にお前は何なんだ、という気持ちはある。もっと真剣に人外を目指すか、そうでなければ命を絶つか腹を決めるべきだ。…べきなのだが、こうも気力が湧かないのはどうしてだろう。この文章を書いている時にさえ眠くなってくる始末。根本的に生きる力がもう無いのかもね。

 

さて、これからどうしたもんだろう。

「他人」を理由にしている時点で自分磨きは失敗するという話

新社会人として成り立ての頃、自分磨きなるものに

とにかく躍起になっていた時期がある。

 

英会話スクールに通いながら、流暢な英語を話す自分を夢想していた。

 

コミュニケーション向上の自己啓発セミナーにも参加し、

「一流のビジネスマン」を目指す自分に陶酔していた。 

 

典型的な「意識高い系」である。

痛々しくて目も当てられない。

 

そんな自分磨き(笑)がどんな結末を迎えたか。

 

言うまでもなく全て失敗である。

 

不真面目だったかと振り返ればそうでもない。

課題は真面目に取り組んでいたし、グループワークなんかは

積極的に発言し主体的に参加していたと思う。

 

でも結果的に英会話スクールからは逃げ出すようにフェードアウトし、

セミナーは何も結び付かずに回数だけ消化してしまった。

 

今なら何でうまくいかなかったのか痛いぐらいによくわかる。

 

「自分」が何もなかったのだ。

 

当時の自分はこんな思考で固まっていた。

 

他人に見下されたらどうしよう。

蔑まされたり、攻撃されたらどうしよう。

 

常に他人を異常なまでに意識し、そして怯えていた。

 

その反動が追い立てられるような自分磨き(笑)である。

何か能力を得れば、人から攻撃されずに済むと考えたんだろうか。

「自分がどうしたいのか」という部分が空っぽなのに。

 

具体的な目標も将来的な展望もない。

私は学びの場を「ファッション」か何かだと勘違いしていたんだろう。

ファッションだから着飾ればそれで終わり。

見てくれだけ参加した気になってそれで満足。

最初からうまくいくはずなんてなかったのだ。

 

当時の私が本当にすべきことは、他人の顔色を伺うことなんかじゃなかった。

心の声に耳を澄まして「自分のしたいこと」を探すことだったのだ。

 

「他人」がどうこうよりまず「自分」を見つめる。

そんな当たり前なことを理解するのに払った授業料は高すぎたみたいだ。

ホントとんだお笑い草である。

 

 

今はもう中身のない自分磨きなんかしていない。

いやむしろそれ以前に人間であることすら半ば辞めている。

状況だけ考えれば当時より悪化しているだけだろう。

 

まあ、もうそれはそれでいいか。

 

人間を辞めるのが「自分が本当にしたいこと」ならば、

今度こそ研鑽(?)に励むのもいいのかもしれない。

自分は「人間障害」なんだと諦めた話

最初に断っておくと「人間障害」なんて病名はもちろん存在していない。

自分が何なのか表現するのにちょうどいいから作ってみた勝手な造語だ。

 

今になってようやく、自分が人間に向かないことを理解できた。

本当は薄々どこかで気づいていたかも知れないけど。

 

これまで何をするにしても「他人」というものが怖かった。

特に妬みや怒りといった「負」の感情。

あれは本当に嫌で仕方がない。

 

他人を見下し、嘲笑の対象を探し続ける輩。

何かに怒り、憎み続けることしか自己を保てない輩。

 

そういったものに出くわす度に心の中がざわついた。

 

ああ、本当に気色悪い。

 

そんな自分の防衛手段はただ一つ。

心の中でガクガク震えながら、顔に作り笑いを浮かべてやり過ごす。

 

自分が攻撃されないように、自分が傷つかないように。

 

これまで自分の人生は、その一点に努力の大半を捧げてきた気がする。

 

ただそんな滑稽な努力(?)も空しく、自分は勝手に追い詰められ、

そしてその挙句に壊れてしまった。

 

限界だと気付いたときにはもうベッドから起き上がれなくなっていた。

医学的に言えば重度の鬱病やらなんやらの精神障害なんだろうけど、

そんな診断が今更役に立つとも思えない。

 

仕事やお金といった社会的価値を全て喪失した今ようやく自覚できた。

 

もういいや。

 

人間に向いていない存在が人間のフリをしたって仕方ない。

「人間として生きることに著しく障害がある」のなら、

最初からこう名乗ればいいのだ。

 

「人間障害者」と。

 

 きっと、もう人間としての自分はその生涯を閉じたのだ。

 

 

このブログは人間だった頃の自分に決別する意味を込めて初めた、

かどうかは自分でも正直わからない。

 

なにせ目的も曖昧ならば方向性すら何も無い。

 

数週間後には、社会に呪詛を吐き続けるだけのbotブログに

なっている可能性だって多いにある。

 

まあそれでもいいか。

 

二言目には生産性やらビジョンだの。

何かをするのに意味を求めるのは人間のすることなんだから。

 

はたしてもう人間でない私は、どこまで無為でいられるのだろう。